似非随想録

「幻によろしくな」

大工2.0

たとえばの話だ。
大工が大工でなくなったらどうだろう。大工が大工でなくなるとき。それはさまざま考えられる。それは第九。あるいはdick。言葉遊びでしかない、ということでもいいじゃないか。そう、なんでもいいのだ。であるならば、ネオ大工ってのもありだろう。IT大工というのは、しかしなんだかしっくりこない。まあいい。意味なんかない。そういうものだ。

俺の親父は大工だった。彼はガキの頃の俺にこう言った。

「俺は大工だ。漢字で書くとこう……そう、あれだ。まあ、おとうさん学校行ってないから漢字はわからないけど、まあ大工ってことだ。おとうさんは漢字が書けなくたってすごいだろ」

いま振り返っても意味がわからない。漢字が書けないことは恥ずべきことだし、別にすごくない。いや、親父はすごいことはすごいのだが。人ひとりをこうして立派に育てたのだから。そう言えば親父はこうも言ってったっけ。

「大工はものづくりが得意だからな。子をつくることも得意なんだぞ」

そんな親父であるが、去年80歳を迎えた。傘寿のお祝いになにがほしいかを尋ねたところ「大工をやれ」と俺にものすごい剣幕で怒鳴るのである。近ごろは昔の威勢もめっきり鳴りを潜めていただけに、老いた親父のただならぬ様子に俺は面食らった。

「大工に?」そう問い返す俺は今年でもう60歳。そうこうしているうちに還暦を迎える。親父のことをさんざん老人扱いしているが、俺ももうすでに老いぼれなのだ。親子揃って棺桶に足を突っ込んでいるというのは、なんとも滑稽である。

「ただの大工じゃないぞ。次の大工だ。大工の新次元。大工の新世界へと行け」

そう言って親父はぶつぶつと自分の世界へ没入していった。俺はなんだかよくわからないが、とりあえずその日は親父をそっとしておいた。

明くる日、親父は俺を呼び寄せてこう言った。

「俺に字を教えてくれ。漢字を。おまえに残さなければいけないものがある」
「遺書なんて縁起の悪いことを言わないでくれよ」そう言って笑う俺を親父はたいへんな不快感を込めて睨み、そして続けた。「ノートとペンと漢字練習帳が必要だ」

足腰も悪くして外出することも容易でない親父は、最近では日がな1日ぼんやりテレビを眺めるような暮らしをしていた。生きながらにして死んでいる、否、死ぬその瞬間を待つだけの生。そんな親父に「なにかをやりたい」という欲求がまだあったなんて。先ほど茶化したことを悪く思いつつ、俺は親父に言われたものを買い揃え、その日のうちに親父に手渡した。親父は「ありがとう」と言い、それからすぐさま勉強を始めた。

それから数日後、親父は起きているあいだはずっと勉強していた。何度も何度も漢字の書き写しをしていた。「大工とはこう書くのか……」「なんて美しい漢字なんだ……」と感嘆し涙を流すこともあった。そして続けて親父は俺にこう言った。

「おまえは大工なんだ」
「親父、違うよ。俺は空調設備の営業だよ。もうかれこれ20年になる」
「違わないんだよ。おまえは大工だ。大工の息子はみな大工なんだ。漢字を覚えておとうさん確信したんだよ。これを見てくれ」

そう言って親父はノートに『大工』と時折ふにゃりとゆれる線で書いた。
「うまく書けるようになったな」そう言う俺の言葉を無視して親父は続けた。
「この大工という漢字、これはな、ただ『大工』という意味だけではないんだぞ。こういうメッセージが隠れているんだよ」そう言いながら親父はノートに「大H」と書いた。「わかるか。これは大エッチだ。大エッチがなにかおまえ、わかるか?」
「いや、なんだよそれ」呆れる俺を見て親父は「つまりな」と続けた。
「大エッチとはな、すごいエッチのことだ。俺はかあさんとすごいエッチ、さしずめ大エッチを敢行した。その末におまえが生まれ、その代わりにかあさんは一足先に天国に行ったってわけだ」

俺はおふくろの顔を知らない。彼女は俺を生んですぐ力尽きて死んでしまったそうだ。写真で見るおふくろはやさしそうに笑っていて、いまここで意味不明なことをのたまい続けるエロジジイにはもったいない人だったのだろうと思う。

「文字通り、昇天したってわけだ」親父はノートに『しょう天』と書きながら言うので「それは笑えない」と俺は親父をたしなめた。『昇』は小学何年生ぐらいに習った感じだったっけ。今度買ってきてやろう。親父は俺の注意を気にもせず続けた。
「大工ってのはな、立派なものをつくるやつらのことを言う。大きなものほどいいと俺は思っている。つまりそういうことだ。俺はおまえをつくった。かあさんと一緒にな。でかくなったな。立派だ。大工冥利に尽きる。ありがとう」

そんな会話から数日後、親父は天に昇っていった。火葬の際には『昇』の漢字があるドリルを入れてやった。きっとあの世で覚えることだろう。おふくろにはもう会えたろうか。

親父が生前の短い期間で覚えた数少ない漢字で書かれた遺書にはこう書かれたあった。

「大工になれ。おまえは大工のむす子なのだから。子でなくてもいい。おまえだけが作ることの出きる、おまえだけのものを。大工は作るもののことを言う。大きければ大きいほどいい。おまえはなれる。だって大工のむす子なのだから。大工2.0なのだから」