似非随想録

「幻によろしくな」

荒れるかぐや姫

生活において必要不可欠なことやものは数あれど、そのなかでもほとんど前提条件として要求されうるであろうことは『住む』ことである。であるからして、我々には四方を壁に囲まれた『箱』すなわち『家』あるいは『部屋』という場所がほとんど必須になってくる。とはいえ、このようなことを意識的に洗いざらいこれから話そうだなんて大層な話ではまったくなく、今回話したいこと、聞いてほしいこと、書いてみたいことというのは「まっ、自分の巣の近所にあったらかなり便利やよね」というものについて、である。その候補については、それこそ十人十色百人百態千違万別一年万年塞翁之馬、要はまあ「人それぞれ」あるだろうが、しかし私はこう思う。「やっぱコンビニ一択やろがい!」と。

そんなこんなで私には行きつけのコンビニエンスストアがある。会社へ向かう朝、どこかへ出かける休日の昼間、くたびれた顔をしながらも一日の終わりにささやかな贅沢を計画して向かう夜のなか。いろんな場面、いろんな気持ちで私はコンビニへ行く。パンを買い、オレンジジュースを買い、ときにはノートやご祝儀袋、恋人の生理用品を買いに走ったこともある。コンビニそのものに思い出はないけれども、その場所をショートカットにして不意に思い出す出来事というのは「振り返ればそれなりにあるものだなあ」などと、いまこれを書きながら感心しているぐらいだ。通い詰めて十数年、冗談でなくそんなぐらいにはなるだろう。なんだかこんなふうに改まって書くと少し気恥ずかしい気もするが、しかしそのコンビニは私の生活と非常に密接した関係を築いていた。今回は「ではなぜ、その関係を『築いていた』と過去にするに至ったか」についてのお話である。

行きつけだったコンビニの店長とは顔見知りで、いつのまにやらどちらともなく話しかけ、いまでは少しの世間話をしたり、ときどき一緒に店の外に設置された喫煙所で煙草を吸ったりするような仲だった。そんな彼との関係性で、私が最も気に入っていたのは、互いが互いを名前では呼び合わない、という点である。パーソナルな情報を公開しないまま、互いを「店長」「お客さん」と呼び合うおままごとのような関係性が心地よかった。そんなだからか、ある日の休日、彼をこれまた行きつけのパチンコ店で見かけたときは、内心で不思議な落胆があった。彼を見かけたその日、私はパチンコ店を足早に去り、それから以後その店に行くことはなくなってしまった。この一連の拒否反応について、私は未だ自身のなかでの整理がついてはいないので、これについての考察・分析はまたいずれ。

「最近また学生のバイトがやめちゃって……」
店長はときどきそんな愚痴を聞かせてくれた。
「やっぱりいまどきの子は根性ないですか?」
ある日の私がそう聞くと、彼は私に似たくたびれた表情と声で以て「お客さん、そんなの言ったらね、今どきの子は知恵が働くからね、すぐにハラスメントだなんのと言って訴えにかかってきますよ」と嘆いたのを覚えている。私はなにも言わずにヘラヘラとして煙草を吸い、私の共感をほのかに期待する彼の態度を文字通り煙に巻いた。

冬の終わりと春の始まりが交差する出会いと別れの季節。私にとっては出会いにも別れにも少しの感情も反応しないほどの繁忙期であることが多い。そんな日々の読点にうってつけの、行きつけのコンビニでいつものように店長とふたり煙草を吸っていると、彼は不意にこう言った。「こないだね、面接にかぐや姫が来たんですよ」
私は煙草を吸いながら、彼がいったいなにを言っているのかを考えた。まずある線として考えられるのは、冗談。にしてはあまりに笑えない。脈絡もなく緩急もない。これで人から笑いを引き出そうとしているのであれば、彼はあまりに浅慮かつ、重ねて言うようであるが、笑えない。大人としてあまりに配慮の欠ける言動であるとは思わないのだろうか。非常時につき『客人是即神様的態度』で以て猛省を要求したいなあなど思っていると、彼は続けた。「でね、おもしろそうだったんで、その彼女、採用したんですよ」
かぐや姫もコンビニでアルバイトする時代なんですねえ。世も末だ」
強引にコントを続けようとする彼を受けて、だんまりを決め込むような子供染みたことなどできるはずもない大人の私は、仕方なしに年甲斐もなく彼との戯れに興じてやることにした。すると彼はくすりとも笑わずこう言った。「お客さん、おもしろいですね。でもこれほんとなんですよ。来月あたまから夕勤で入るんで、よかったら見学に来てくださいよ」

 そんな会話から数日後、コンビニに向かう気力もないほどに忙しい日々を過ごし、なんとか休日前日まで生き延びた深夜のこと。夕飯をつくる気力など残っているはずもなく、私はなにか空腹を満たすものを求めてコンビニへ向かった。夜のなかで過剰なほど発光しているコンビニのガラス越しから店長が見えた。彼が店へ向かって歩く私に気付いて軽く会釈してくれた。それに応えて私が軽く手を振ると、彼も小さく手を振った。「なんだかひさしぶりですねえ」
いつものようにふたり煙草を吸いながら、店長はそんなことを言った。
「いやあ、年度末はやっぱり忙しくて」
「どの業界も、けっこうたいへんそうですもんねえ」
そんな会話をしながらも、私の職業を聞いたりするような真似を彼は決してしなかった。興味がないのか、はたまた配慮なのか、それは知る由もなかったが、しかしそんな彼であるからこそ、私もこのよくわからない彼との関係性に嫌気が差すことも長らくなかったのだろう。店長が煙草を吸い終え、2本目に火をつけながら「ああ、そういえば」と新たな話題を切り出した。「こないだ言った子、すごいんですよ」
「こないだって?」
かぐや姫ですよ」
聞けば彼女、自称かぐや姫の初出勤日はとてもすさまじいものであったらしい。まず彼女は自己紹介で自分の年齢を「だいたい1100歳」だと言い、来る客すべてに「いらっしゃいませ」ではなく「よくぞ来たな!」と怒鳴っていたらしい。彼女は夕方勤務メインで採用したスタッフらしく、初出勤のときも夕方5時から勤務だったそうだが、退勤直前の夜9時ごろになると店の外に出て月を眺めるのに必死でまったく仕事をする気配もなかったらしい。
「そんなやつ、一発でクビにしたんじゃないですか?」
私が尋ねると、店長は少し笑って「いやいや、そんなのはいまのご時世じゃなかなかできないですよ。やっぱりなんらかのハラスメントになってしまう危険性がありますから……でもね、そんなのとは別にして、やっぱり彼女、おもしろいからもう少しだけ様子見てみたいなあって思ってるんですよ」
そう言って微笑む彼を見て、なんだか私はたのしそうでよかったなあという感想を抱いた。なぜだかはわからない。けれど少し私たちの関係から一歩踏み込んだ感情であるなあなどと後ほど思い至り、私はひとり、たいへん恥ずかしい気持ちになったりもしたが、それはまた別の話として。
「なんだかおかしな子だねえ。歳はいくつなの?」
「だからそれがね、何回聞いても『だいたい1100歳』としかこたえないんですよ」
「それは困りましたねえ」
「でもね、見た目は20代後半ぐらいですよ。髪もすごく長くて、どこかの神社で巫女でもやってたのかなあって感じで。まあ平均的な日本人顔ですね」
「今日は彼女、こないの?」
「休みですね。あっ、でも明日は出勤ですよ」

 そして明くる日、夕方少し前に目が覚めて、私は寝癖も直さず歯も磨かずに、裸足にサンダルをつっかけてコンビニへ出掛けた。店内レジには昨日に店長から聞いたとおりの髪の長い女性と、彼とおなじく普段からよく見る40代ほどの女性とのふたりがいた。彼女たちは私が入店するなり、ごくごくふつうに「いらっしゃいませー」と挨拶をした。
「なんだ、めちゃくちゃふつうじゃないか」と、昨日の店長の話を思い返しつつ、弁当1つと缶チューハイを2本手に取ってレジへと進む。かぐや姫がレジに立ち、これまた非常にマニュアルに沿った接客で以て手際よく商品を袋に詰めていく。
「合計で978円です」
普段からお互いを『客と店員』として認識する距離感に心地よさを感じている私であるが、いま私の目の前にいるかぐや姫と、店長の話からなるかぐや姫とのあまりの相違になんだかとても据わりの悪さを感じた。
「あの、お客さま?」
かぐや姫に言外に支払いを促され、私は慌てて財布を取り出そうとズボンのポケットに手を入れた。けれども財布はどこにもなかった。
「あの、財布を忘れたみたいで……家すぐ近くなんで、ちょっと置いててくれないですか?」
そう伝えるとかぐや姫は怪訝な顔をして「あー、ちょっと店長に確認してきますね」と言ってコンビニのバックスペース兼事務所へと消えていった。ああ、裏に店長いるのかなどと思い、幾分気持ちが軽くなった。数分してバックスペースから現れたのは普段からよく見る40代ぐらいの女性だった・
「店長、あのかたなんですけど……」言ってかぐや姫が私のほうへ視線を寄越した。店長でないはずの女性は「あぁ、あの人なら大丈夫よ」とひとこと言ってこちらへとやってきた。
「いつもご利用ありがとうございます」かぐや姫になぜか店長と呼ばれている女性が私の目の前に立って笑っている。私は先ほどの安堵から急転、いまなにを見せられているのかまったくわからず混乱していた。「じゃあこちらの商品預かっておきますので、お財布見つかりましたら、また声かけてくれれば」
「えっと、ちょっと変なことを聞くんですけど……この店の店長ってあなたなんですか?」
「ええ、そうですけど?」顔面のほとんどすべてを疑問符に擬態させる勢いできょとんとした40代ほどの女性が応える。さも当然のことを、それからあまりに突飛なことを聞かれて困惑しているらしい。
「それとあなたは、自称かぐや姫の子だよね?」私は店長から変わって、例の彼女に話しかける。彼女はまた怪訝な顔をして言った。「いや、違いますけど……」
「……あの、財布取ってきます」
言って私は、きょとんとしたふたりの視線を背中に感じながら店を出た。それからあと、私が預かってもらった商品を受け取りにいくことはなかった。

 これには後日談があり、先の奇妙な出来事から数週間後、私はしばらく行ってなかった元行きつけのパチンコ店に出かけたことがある。2時間ほど遊んで換金所へと向かうと、店長がいるではないか。私はうれしくなってつい話しかけてしまった。
「店長! ひさしぶりだねえ」
店長は驚いてこちらへ振り向いた。そして言うのである「えっと、あなた誰ですか?」
これはまた悪趣味な冗談だと思いつつ、私ははたと思い至った。そうだ、数週間前のあの出来事も、もしかして店長のちょっとしたドッキリだったんじゃないかと。
「ちょっと店行けてないけどさ、こないだかぐや姫見たよ。全然違うって感じでびっくりしたよ。あれ、どうなってんの?」
少し捲し立てるようにして話した私に対して、しかし店長の反応は芳しくなく、彼は換金を済ませてから一言「あたまおかしいんじゃね?」と吐き捨てるように言って、そそくさと去っていった。
その日は、皮肉だろうか、非常に綺麗な満月であった。