似非随想録

「幻によろしくな」

スターお姉さん

過去に二年ほど種子島に住んでいたことがある。
転勤族だった私はすでに様々な場所を点々としていたが、そんななかで小学二年生のころに東京から引っ越した先が、宇宙ロケットが飛ぶという種子島だったのだ。

島には老人が目立ち、子どもはとても少なかったように思う。
学校は小中高の一貫校で、島内の数少ない学校のなかでそこは最も多い生徒数を誇る学校だった。つまり、島の子どもたちの多くがそこへ集結するというシステムだ。私は種子島に住まう子どもたちのほとんどを知っていて、種子島に住まう子供たちもみんな私のことを知っていた。スクールカーストがそのまま島のカーストへ直結するという、いま思えばたいへん残酷な社会構造が島には形成されていたのである。

当時の私は団地のような場所に住んでいて、島では貴重な子どもたちが私のほかにも何人か住んでいた。幼い私は転勤族の子であるにもかかわらず引っ込み思案であったため、種子島へ引っ越してきた当初はなかなか周囲に馴染めずにいた。そんな私と唯一なかよくしてくれたのが当時中学三年生で私より八つも上のお姉さんであるOだった。

Oはよく日に焼けていて、肩より少し長い髪をヘアゴムでいつもちょんまげみたいに結んでいて、おてんばで明るくいつもニコニコ笑っていて、そして星が大好きな女の子だった。登校初日、全校集会のときに自己紹介をさせられ、それ以降大した盛り上がりも見せず、自分から島の子どもたちに声をかけることもできぬまま落胆し下校する私にOは「いっしょにかえろう」と声をかけてくれたのだった。
「おうちはどこ?」と聞く彼女に当時住んでいた団地を伝えると「うっそ!? ウチと一緒じゃん」とOはニコニコ笑っていた。その出来事がきっかけとなり、私はOにたいへんよくしてもらった。

毎日の登下校で、Oはとてもたくさんのことを私に話してくれた。Oの好物は肉じゃがで、カレーライスは少し苦手であること。私たちの通う一貫校の国語教師はいつも鼻毛が出ていることや、島内にコンビニができることはないだろうと諦めていること。そして彼女が将来は天文学者になりたいということ。

「星が好きなの?」
種子島には宇宙センターがあるんだよ」
「こんななにもない島に? なんで?」
「理由は知らないけど、ときどきロケットだって飛ぶんだよ」
「宇宙センターか。行ってみたいなあ」
「じゃあ夏休みになったら行こうよ」
「ほんとに?」
「今日が七夕だから、ちょうどあと1ヵ月ぐらいだね」
「七夕ってあんまり好きじゃない。短冊にお願いを書くのって恥ずかしくない?」
「あ、それちょっとわかる。でもこれからは七夕も好きになってよ」
「なんで?」
「ウチの誕生日でもあるんだからさ」
「え? うそ!? すごい! おめでとう!!」
「実はウチは織姫の生まれ変わりなのかもしれないと思っています」
「それはないね」
「そうでもないよ」
「証拠は?」
「彦星が握っています」
「じゃあいつか宇宙まで探しに行こうよ」
「いいねそれ」
「ちなみにO姉ちゃんは七夕の短冊になんて書いたの?」
「うーん……内緒」
「えー。教えてくれてもいいじゃん」

そんな会話をしたことをよく覚えている。宇宙センターがあることに驚いた気持ちも、それを得意げに話すOの表情も、子どもたちの夏の計画がそれからあと遂行されぬまま夏休みが終わったことも、Oが未だに行方不明であることも、それからまもなく私が種子島から引っ越してしまったことも。

ある日、学校でOを見かけて声をかけようとすると、彼女は私と目が合ったにもかかわらずそそくさと行ってしまった。過去にも数回そういったことがあり、私はそれを不思議に思っていた。けれどもそんなことがあった日の下校時にもOはいつも学校の正門で私を待ってくれていて、普段と変わらずたくさんおしゃべりをしながら同じ団地へ帰っていた。だから特に学校でのOの態度が気になることもなかったのだけど、その理由がその日やっとわかったのだ。その日の下校時、私はOに聞いた。

「O姉ちゃんって彼氏いるの?」
それまで笑顔だったOの表情が明らかに曇ったのがわかった。けれども彼女はすぐいつもの笑顔に戻り「そんなのいないよ」と言って走り出した。
私は走る彼女を追いかけた。しばらく走ると彼女は不意に立ち止まった。
「ウチこないだ『誕生日は七夕』だって言ったじゃん。あれ実は嘘なんだ」
そう言うと彼女は肩で息をしながら笑い始めた。「ほんとは七月八日なんだよね」
二次性徴の到来前後では体力は雲泥の差である。やっとの思いで彼女に追いついたぼくは先ほどの質問を続ける。
「だって今日、学校で高校生の男の子と一緒に歩いてたじゃん」
彼女は応えず笑い続けていた。そしてこう言ったのだった。
「余裕のある愛情ってなんだろうね」

私はそんなOを変に思い、彼女の顔を覗き込んだ。彼女は笑いつつ、涙を流していた。そのときの涙の意味を二次性徴前の私が知る由はなかった。

あの日の出来事があってから以降、私はなんとなく気まずさがあって彼女を避けて帰っていた。するとときどきほかの子どもたちから声をかけられるようになった。
「おまえもあいつになんかされてたんだろ?」同じ学年の男の子が私に聞いてきた。なんでもOは島内ではあまりよく思われていない子どもであるそうだった。
「なんかってなに?」と私が問い返すと、彼は赤面して、それから歯切れ悪そうに言うのだった。
「なにっておまえ……そりゃエッチなことなんじゃないの?」
「はあ? なにいってんだよ」
「だってかあちゃんが言ってたもん。あの子はオサセだから近寄っちゃダメだって」
「なんかわかんないけど、O姉ちゃんはいい人だよ」
「そんなわけねえだろ! 東京もんはやっぱバカなんだな! だいたい中学生にもなって小学生とつるむとか、あやしいんだよ!」
そう言うと彼は走り去っていってしまった。

夏休みの少し前にOが行方不明になった。いつものように家に帰ると母親がそう教えてくれた。
母親の言葉を現実として飲み込めなかった私は「彼氏と駆け落ちしたんじゃない?」と冗談を言った。すると母親は血相を変えて私の頬を叩き「ほんとのことなのよ!」と私を叱った。大人の本気の剣幕に私はそれが現実であることを知り、こわくなって泣いた。Oがいなくなることなんて考えたこともなかったから。

その日の夜から三日間、島内の捜索が昼夜問わずおこなわれた。
けれども最後までOが見つかることはなかった。以前、校内で見かけた「彼氏」と思しき人物が警察に聴取されたそうだが「わたしはなにも知りません」の一点張りだったということを、Oが島内で売春をおこなっていたことや、それで得たお金を自身の口座にすべて貯金していたこと、彼女の行方不明には事件性はなく自殺であるだろうという結論を最終的に下されていたことを私は大人になってから知った。それらはすべて図書館で当時の地方新聞を閲覧して知った情報である。
その記事には当時の彼女にかかわるものが撮影され掲載されていた。そこには彼女が願い事を書いた短冊もあった。そこに彼女はこう願っていた。

「次はもっとうまくやろうと思う。一日はやく生まれるとか、そんな感じに」