似非随想録

「幻によろしくな」

ホネケーキ

塩とアジシオの違いについてぼんやり思いを馳せつつ散歩をしていた昼下がり。
ふと目に入った看板に記された「ホネケーキ」なる単語が放つものものしさに私は思わず眉をひそめた。
ホネケーキとはいったいなんであるか。私はそう考えるより先にズボンのポケットにあるスマートフォンに手をかけていたが、これを次にはぐっとこらえて手放した。ここらでいっちょ自身の想像で以てホネケーキという単語をこねくり回してやろう。そういう娯楽を思いついたのである。

まず「ホネケーキ」なる単語を記す看板を掲げていた建造物であるが、それは灰色の工場であった。
途方もなく巨大というわけではないが、かといって風が吹けば飛んでしまうような風情でもない。言うなればそれは中肉中背の工場であった。骨で以てなんらかのケーキをつくるという工場が太っていたのでは恰好がつかないからだろう。知らんけど。
工場に煙突はなく、怪しげな排ガスで大気を汚染している気配はない。工場近辺にあまいにおいが漂っていることもなかった。まさかホネケーキはケーキではないのだろうか。
ここでひとつの疑問を呈する。骨を原料としたケーキはおいしいのだろうか、というそもそも論。なめらかなスポンジに骨が内蔵されていたとして、その口当たりはケーキ史上最低を限りなく近似することになるのではなかろうか。
ここで、前述の疑問の礎となろう前提にもクエスチョンを。そもそもホネケーキは食べ物であるのか。そしてそれが仮に食べ物であったとして、それは人間が口にするようつくられているのか。
まずは後者のクエスチョンから。私が思うにホネケーキはきっと人間が食するために製造されるものではないだろう。ゆえにホネケーキはおそらくケーキとは名ばかりの産物である可能性が高いと踏んでいる。
次に前者。これは正直判断しかねている。食べ物である可能性もあるし、そうでない可能性も捨てられない。ペット用のオヤツになんだかありそうな気もする。牛や馬の骨のうま味など濃縮したようなものとして。
食べ物でない場合は、薬の線などどうだろう。骨粗鬆症の治療に用いられる骨強化薬などはありえない話でもなさそうだ。それを老人が黒ニンニクやブルーベリーアイとともに青汁で流し込むのである。それは文字に起こしただけであっても、おぞましい光景だ。老人の多くは生ける魔女の大釜だと、私は先の光景を見るたび思う。
ここまでは、なんらかの市場がありそれが製品として販売されている体としてホネケーキを考えてきた。だけれどそれが資本を得るためのものでなくなんらかの創作物や芸術作品であったとして、私のみた看板を掲げる建物が工場でなくアトリエのようなものだったとしたら。
以前、ハウスジャックビルトという映画を観たことがある。主人公となる中年男性が自身で殺した人間の死体を用いて理想の家を建てるという内容だ。もしかしてホネケーキはそれと同じ類のものではないだろうか。
公道から見える場所に看板を打ち立てていることから、ホネケーキは先の映画のような犯罪行為に触れるものではないのだろう。身寄りのない人たちの遺骨で組み上げたケーキ状の宗教的建築物のようなもの。新手の仏像、ホネケーキ。
このあたりで私の貧相な想像力が底を尽いた。ではいったいホネケーキとはなんであるのか。その答えを知るため、私はポケットへ手を伸ばした。