似非随想録

「幻によろしくな」

生贄だいすき

人生とは選択の連続だ。
手垢にまみれた台詞であるが、しかし、だからこそそれはある程度の真実味も帯びる。

生きていると、知らず手に入れているものがある。身体。思想。関係。そして夢。ゆたかな人生というものに必要なそれらは、たいてい七色に輝いて綺麗である。否、そうあるよう強いられている。人間は自身が最もかわいいもの。自我構築に大きくかかわるものたちには強固な価値を持っていてほしいと自然祈るようにできている。

けれど世界は、社会は、人間は残酷だ。私たちはそれらを自身の手札のようにして、時にして切ることを迫られる。競争の市場価値が高い我々の世界での常識だ。交換。犠牲。生贄。そのような言葉が適切だろうか。切ったカードに置いていた私的価値が高いほど、私たちはそれに見合った見返りを期待する。そして多くの人たちはその賭けに敗れ、夢は睡眠時にのみ見るもの、あるいは「叶うのならば……」と祈る信仰対象に成り果てる。自身の歩む道の先にある目標というものには、もう今後一切なり得ないのだ。切ったカードを失うということは、つまりそういうことだ。そして私たちは川に沈む石のように丸くなる。

年を経てもなお刺々しい人というのもいる。彼らは勝ち続けているものか、あるいは打席に立つことをしなかったものたちだろう。敗け続けたものにとって、彼らはまぶしくあり、同時に痛々しくもある。なぜか。お互いに理解の及ばない存在であるからだ。人間の想像力は、人間が思っているよりもきっと貧相だ。

年を経るにつれ人間が同じような顔になるのは、きっと人間の生きる過程が先のパターンぐらいしかないからだろう。なにもみな最初から平々凡々であったわけではない。元々は特別なオンリーワンだった可能性がきわめて高い。

そして、生まれ持って握っている手札というものは、皆平等なわけがない。この世はきっと天国よりも地獄に近い。金持ちの子があれば、その逆も然り。容姿に恵まれた子があれば、その逆も然り。相対的思考は知らず格差を生み、またそれを愛し育む社会をつくる。行間に生きるもの。モノとモノとのあいだ、ヒトとヒトとの距離にこそ『人間』は存在しうるのだから。

それでなにが言いたいかというと、どうだろう。特にないというのが本当のところだ。実はかつてはあったのかもしれないが、私はそのカードを知らず賭け、そして失ったのだろう。残ったのは穏やかだが常に晴れない靄のかかった気持ち。過去の自分を保とうとする虚栄。それから生に前向きになったこと。いや、生きることについてそこまで悩まなくなった、という方が適切だろうか。

かつて私が握っていたカード。根拠なき全能感。
かつての私が欲していたカード。唯一無二の表現。
いまの私が握っているカード。愛する人との今後への期待。
いまの私が欲しているカード。平和な未来。

どちらがよいかと問われたならば、人間はだいたい「いまの自分」を肯定したいものだろう。白黒つかないことだけれど、きっとそうだ。白黒つけなければならない世界は物騒だから。生きろ。さもなくば死ね。

ホネケーキ

塩とアジシオの違いについてぼんやり思いを馳せつつ散歩をしていた昼下がり。
ふと目に入った看板に記された「ホネケーキ」なる単語が放つものものしさに私は思わず眉をひそめた。
ホネケーキとはいったいなんであるか。私はそう考えるより先にズボンのポケットにあるスマートフォンに手をかけていたが、これを次にはぐっとこらえて手放した。ここらでいっちょ自身の想像で以てホネケーキという単語をこねくり回してやろう。そういう娯楽を思いついたのである。

まず「ホネケーキ」なる単語を記す看板を掲げていた建造物であるが、それは灰色の工場であった。
途方もなく巨大というわけではないが、かといって風が吹けば飛んでしまうような風情でもない。言うなればそれは中肉中背の工場であった。骨で以てなんらかのケーキをつくるという工場が太っていたのでは恰好がつかないからだろう。知らんけど。
工場に煙突はなく、怪しげな排ガスで大気を汚染している気配はない。工場近辺にあまいにおいが漂っていることもなかった。まさかホネケーキはケーキではないのだろうか。
ここでひとつの疑問を呈する。骨を原料としたケーキはおいしいのだろうか、というそもそも論。なめらかなスポンジに骨が内蔵されていたとして、その口当たりはケーキ史上最低を限りなく近似することになるのではなかろうか。
ここで、前述の疑問の礎となろう前提にもクエスチョンを。そもそもホネケーキは食べ物であるのか。そしてそれが仮に食べ物であったとして、それは人間が口にするようつくられているのか。
まずは後者のクエスチョンから。私が思うにホネケーキはきっと人間が食するために製造されるものではないだろう。ゆえにホネケーキはおそらくケーキとは名ばかりの産物である可能性が高いと踏んでいる。
次に前者。これは正直判断しかねている。食べ物である可能性もあるし、そうでない可能性も捨てられない。ペット用のオヤツになんだかありそうな気もする。牛や馬の骨のうま味など濃縮したようなものとして。
食べ物でない場合は、薬の線などどうだろう。骨粗鬆症の治療に用いられる骨強化薬などはありえない話でもなさそうだ。それを老人が黒ニンニクやブルーベリーアイとともに青汁で流し込むのである。それは文字に起こしただけであっても、おぞましい光景だ。老人の多くは生ける魔女の大釜だと、私は先の光景を見るたび思う。
ここまでは、なんらかの市場がありそれが製品として販売されている体としてホネケーキを考えてきた。だけれどそれが資本を得るためのものでなくなんらかの創作物や芸術作品であったとして、私のみた看板を掲げる建物が工場でなくアトリエのようなものだったとしたら。
以前、ハウスジャックビルトという映画を観たことがある。主人公となる中年男性が自身で殺した人間の死体を用いて理想の家を建てるという内容だ。もしかしてホネケーキはそれと同じ類のものではないだろうか。
公道から見える場所に看板を打ち立てていることから、ホネケーキは先の映画のような犯罪行為に触れるものではないのだろう。身寄りのない人たちの遺骨で組み上げたケーキ状の宗教的建築物のようなもの。新手の仏像、ホネケーキ。
このあたりで私の貧相な想像力が底を尽いた。ではいったいホネケーキとはなんであるのか。その答えを知るため、私はポケットへ手を伸ばした。

スターお姉さん

過去に二年ほど種子島に住んでいたことがある。
転勤族だった私はすでに様々な場所を点々としていたが、そんななかで小学二年生のころに東京から引っ越した先が、宇宙ロケットが飛ぶという種子島だったのだ。

島には老人が目立ち、子どもはとても少なかったように思う。
学校は小中高の一貫校で、島内の数少ない学校のなかでそこは最も多い生徒数を誇る学校だった。つまり、島の子どもたちの多くがそこへ集結するというシステムだ。私は種子島に住まう子どもたちのほとんどを知っていて、種子島に住まう子供たちもみんな私のことを知っていた。スクールカーストがそのまま島のカーストへ直結するという、いま思えばたいへん残酷な社会構造が島には形成されていたのである。

当時の私は団地のような場所に住んでいて、島では貴重な子どもたちが私のほかにも何人か住んでいた。幼い私は転勤族の子であるにもかかわらず引っ込み思案であったため、種子島へ引っ越してきた当初はなかなか周囲に馴染めずにいた。そんな私と唯一なかよくしてくれたのが当時中学三年生で私より八つも上のお姉さんであるOだった。

Oはよく日に焼けていて、肩より少し長い髪をヘアゴムでいつもちょんまげみたいに結んでいて、おてんばで明るくいつもニコニコ笑っていて、そして星が大好きな女の子だった。登校初日、全校集会のときに自己紹介をさせられ、それ以降大した盛り上がりも見せず、自分から島の子どもたちに声をかけることもできぬまま落胆し下校する私にOは「いっしょにかえろう」と声をかけてくれたのだった。
「おうちはどこ?」と聞く彼女に当時住んでいた団地を伝えると「うっそ!? ウチと一緒じゃん」とOはニコニコ笑っていた。その出来事がきっかけとなり、私はOにたいへんよくしてもらった。

毎日の登下校で、Oはとてもたくさんのことを私に話してくれた。Oの好物は肉じゃがで、カレーライスは少し苦手であること。私たちの通う一貫校の国語教師はいつも鼻毛が出ていることや、島内にコンビニができることはないだろうと諦めていること。そして彼女が将来は天文学者になりたいということ。

「星が好きなの?」
種子島には宇宙センターがあるんだよ」
「こんななにもない島に? なんで?」
「理由は知らないけど、ときどきロケットだって飛ぶんだよ」
「宇宙センターか。行ってみたいなあ」
「じゃあ夏休みになったら行こうよ」
「ほんとに?」
「今日が七夕だから、ちょうどあと1ヵ月ぐらいだね」
「七夕ってあんまり好きじゃない。短冊にお願いを書くのって恥ずかしくない?」
「あ、それちょっとわかる。でもこれからは七夕も好きになってよ」
「なんで?」
「ウチの誕生日でもあるんだからさ」
「え? うそ!? すごい! おめでとう!!」
「実はウチは織姫の生まれ変わりなのかもしれないと思っています」
「それはないね」
「そうでもないよ」
「証拠は?」
「彦星が握っています」
「じゃあいつか宇宙まで探しに行こうよ」
「いいねそれ」
「ちなみにO姉ちゃんは七夕の短冊になんて書いたの?」
「うーん……内緒」
「えー。教えてくれてもいいじゃん」

そんな会話をしたことをよく覚えている。宇宙センターがあることに驚いた気持ちも、それを得意げに話すOの表情も、子どもたちの夏の計画がそれからあと遂行されぬまま夏休みが終わったことも、Oが未だに行方不明であることも、それからまもなく私が種子島から引っ越してしまったことも。

ある日、学校でOを見かけて声をかけようとすると、彼女は私と目が合ったにもかかわらずそそくさと行ってしまった。過去にも数回そういったことがあり、私はそれを不思議に思っていた。けれどもそんなことがあった日の下校時にもOはいつも学校の正門で私を待ってくれていて、普段と変わらずたくさんおしゃべりをしながら同じ団地へ帰っていた。だから特に学校でのOの態度が気になることもなかったのだけど、その理由がその日やっとわかったのだ。その日の下校時、私はOに聞いた。

「O姉ちゃんって彼氏いるの?」
それまで笑顔だったOの表情が明らかに曇ったのがわかった。けれども彼女はすぐいつもの笑顔に戻り「そんなのいないよ」と言って走り出した。
私は走る彼女を追いかけた。しばらく走ると彼女は不意に立ち止まった。
「ウチこないだ『誕生日は七夕』だって言ったじゃん。あれ実は嘘なんだ」
そう言うと彼女は肩で息をしながら笑い始めた。「ほんとは七月八日なんだよね」
二次性徴の到来前後では体力は雲泥の差である。やっとの思いで彼女に追いついたぼくは先ほどの質問を続ける。
「だって今日、学校で高校生の男の子と一緒に歩いてたじゃん」
彼女は応えず笑い続けていた。そしてこう言ったのだった。
「余裕のある愛情ってなんだろうね」

私はそんなOを変に思い、彼女の顔を覗き込んだ。彼女は笑いつつ、涙を流していた。そのときの涙の意味を二次性徴前の私が知る由はなかった。

あの日の出来事があってから以降、私はなんとなく気まずさがあって彼女を避けて帰っていた。するとときどきほかの子どもたちから声をかけられるようになった。
「おまえもあいつになんかされてたんだろ?」同じ学年の男の子が私に聞いてきた。なんでもOは島内ではあまりよく思われていない子どもであるそうだった。
「なんかってなに?」と私が問い返すと、彼は赤面して、それから歯切れ悪そうに言うのだった。
「なにっておまえ……そりゃエッチなことなんじゃないの?」
「はあ? なにいってんだよ」
「だってかあちゃんが言ってたもん。あの子はオサセだから近寄っちゃダメだって」
「なんかわかんないけど、O姉ちゃんはいい人だよ」
「そんなわけねえだろ! 東京もんはやっぱバカなんだな! だいたい中学生にもなって小学生とつるむとか、あやしいんだよ!」
そう言うと彼は走り去っていってしまった。

夏休みの少し前にOが行方不明になった。いつものように家に帰ると母親がそう教えてくれた。
母親の言葉を現実として飲み込めなかった私は「彼氏と駆け落ちしたんじゃない?」と冗談を言った。すると母親は血相を変えて私の頬を叩き「ほんとのことなのよ!」と私を叱った。大人の本気の剣幕に私はそれが現実であることを知り、こわくなって泣いた。Oがいなくなることなんて考えたこともなかったから。

その日の夜から三日間、島内の捜索が昼夜問わずおこなわれた。
けれども最後までOが見つかることはなかった。以前、校内で見かけた「彼氏」と思しき人物が警察に聴取されたそうだが「わたしはなにも知りません」の一点張りだったということを、Oが島内で売春をおこなっていたことや、それで得たお金を自身の口座にすべて貯金していたこと、彼女の行方不明には事件性はなく自殺であるだろうという結論を最終的に下されていたことを私は大人になってから知った。それらはすべて図書館で当時の地方新聞を閲覧して知った情報である。
その記事には当時の彼女にかかわるものが撮影され掲載されていた。そこには彼女が願い事を書いた短冊もあった。そこに彼女はこう願っていた。

「次はもっとうまくやろうと思う。一日はやく生まれるとか、そんな感じに」

トースト28号

近所に食パンが美味で評判のパン屋がある。
私は、毎朝のトーストはそこの食パンでないともう食べる気も起きない。
外はサクサク、なかはふわふわ。近ごろ都市部で流行しているオシャレ高級食パン店が提供するオノマトペなどそこの食パンは持ち合わせていない。言うなれば「外は孤独な老人が長年連れ添った伴侶の遺骨を抱えひとり揺られる夜行バスでの旅路、なかは類人猿が稲妻から火を得たときの歴史的転換点」といったところだろうか。

閑静な住宅街の一角。外観はすべてが白く、窓はない。入口の扉はスライド式の重厚感ある鉄製で、常に固く閉ざされている。よって、外から店内を伺うことは叶わない。威圧的な佇まいには似合わないゴシック体で書かれた『OPEN』のドアプレートがユーモラスだといつも思う。
店内はちょうど小中学校の教室ぐらいのひろさ。内壁は、外壁と同じく白い。そして、手足に浮き出る血管に似た太さも長さもさまざまな黒みがかった青色の線が店内の壁全体を駆け巡っている。壁の一角には豪奢な額縁に入った『焼きたて!!ジャぱん』のポスターが飾られていて、店内照明は赤く、そして薄暗い。
おおよそ食料品店には適さない内観と、まるで客を呼び込むには適さない、むしろ拒むような外観。店内は年内を通して暑くも寒くもない。けれどもそれはやってくる客に配慮してのことではきっとない。それはパンがいきいきと鮮度を保つ最適の室温であるのだろう。
店の名は『製麺麭研究所』。そう断定する根拠は「会計時に毎回もらうレシートにそのように印字されていた」ということのみだ。店の外には、どこにもそのような屋号を見つけることはできない。知る人ぞ知るパン屋なのだろうか、行列ができているところは見たことがない。私は店内でほかの客を見たこともない。けれどもパンは売り切れていることも多いように思う。

ここで私が購入できるパンは『食パンのみ』である。種類はそのときどきではあるが、しかし常にざっと30種類はあるだろう。食パンのみでその種類が常時30を超えるパン屋など、私はこの店以外聞いたことがない。
私のお気に入りは『トースト28号』。一斤で2ドルと10ユーロ、それに円とウォンを少々。私はそれにプラスして毎度100トルコリラをチップとして添える。ときどき『トースト10号』や『トースト3号』なども購入することがあるが、やはりいちばんは『トースト28号』なのである。
このあいだは『早熟』と『仮仕込み』を2ポンドと3クローネと綺麗な貝殻1つで購入したが、それらはあんまりだった。「この店のパンにも外れがあるんだな」と新鮮だった。次回は「微芳醇」を試してみようと思う。

この店には食パン以外もあるにはある。
『邪眼』という名のクリームパンと思しきものや『ハ短調4分の4拍子』という名の豆腐ドーナツは人気らしく、売り切れていることも多い。このあいだ店に行ったときには『ミネラルウォーター』という名のカレーパンが焼きたてらしく非常においしそうだった。
けれども、それらを購入する際には『麺麭調製免許』なるものの所持および提示が必要で、私はそれを持っていない。一度ネットで検索を試みたけれど、それらしい資格はなにもヒットしなかった。いつか店で食パン以外を購入している客を見かけたら聞いてみようと思う。

製麺麭研究所』の従業員はおそらくひとりと一体だろう。
ひとりとは、いつもぼんやりとしていて、なぜか常に白衣を着ている髪の長い女性のことである。彼女はいつもレジを打ってくれるのだが、その所作が非常に機械的である。微笑むなどといったことはもってのほかで、私は声すら聞いたことがない。話しかけても返答はない。レジを打ち終えたあとの彼女はどのような感情も伺えない無表情で、ただじっと私の両の目を見据えるのみである。私が苦労して揃えた外国硬貨を一瞥し、彼女はそれらをレジのすぐ横に置かれているゴミ箱へ流し入れる。金額がちょうどでなくても同じである。そして彼女はいつも必ずレシートをくれる。そこにはいつもパンの代金「ちょうど」をもらった旨が記載されている。
一体とは、いつ行っても電源が切れているペッパーくんのことである。なぜかこの店のペッパーくんは両腕がもがれている。電源が切れているからか、常に店の床を見つめていて、電源が入っていようが切れていようが彼は常に冷たい。
だからこの店の従業員は、実質で言えば白衣の彼女ひとりということになるのだろう。パンを製造しているのが彼女なのか、ペッパーくんなのかは未だ謎のままである。

 以前、私の部屋に泊まりにきていた友人に朝食として『トースト28号』を振る舞ったことがある。彼は皿の上に乗る朝食を見るなり「え? これ焼きおにぎりだよね?」と意味不明なことを言っていた。彼とは絶縁し、以降会っていない。
母親におすすめしたいと思って写真を送ったときには「写真間違えてない? これトーストじゃなくて英和辞典だよ?」と友人と同じ支離滅裂な反応を示していた。それ以降母親からの連絡は無視している。

今日も私は『製麺麭研究所』でへ向かう。財布のなかには2ドルと10ユーロ、それに円とウォンが少々。もちろんチップの100トルコリラも抜かりがない。
今日の『トースト28号』はいったいどのような仕上がりなのだろう。形而下のかたちにこだわることはない。本当のおいしさを『ソレ』は持つのだから。

店へと向かう道中にある公園で老人が鳩にパン屑を投げていた。類人猿に似た筋骨隆々の男がランニングに勤しんでいた。よく晴れた空に手のひらをすかすと、そこには真っ赤な血潮が流れており、それを見て私は「とてもよいトースト日和であるな」と思った。

大工2.0

たとえばの話だ。
大工が大工でなくなったらどうだろう。大工が大工でなくなるとき。それはさまざま考えられる。それは第九。あるいはdick。言葉遊びでしかない、ということでもいいじゃないか。そう、なんでもいいのだ。であるならば、ネオ大工ってのもありだろう。IT大工というのは、しかしなんだかしっくりこない。まあいい。意味なんかない。そういうものだ。

俺の親父は大工だった。彼はガキの頃の俺にこう言った。

「俺は大工だ。漢字で書くとこう……そう、あれだ。まあ、おとうさん学校行ってないから漢字はわからないけど、まあ大工ってことだ。おとうさんは漢字が書けなくたってすごいだろ」

いま振り返っても意味がわからない。漢字が書けないことは恥ずべきことだし、別にすごくない。いや、親父はすごいことはすごいのだが。人ひとりをこうして立派に育てたのだから。そう言えば親父はこうも言ってったっけ。

「大工はものづくりが得意だからな。子をつくることも得意なんだぞ」

そんな親父であるが、去年80歳を迎えた。傘寿のお祝いになにがほしいかを尋ねたところ「大工をやれ」と俺にものすごい剣幕で怒鳴るのである。近ごろは昔の威勢もめっきり鳴りを潜めていただけに、老いた親父のただならぬ様子に俺は面食らった。

「大工に?」そう問い返す俺は今年でもう60歳。そうこうしているうちに還暦を迎える。親父のことをさんざん老人扱いしているが、俺ももうすでに老いぼれなのだ。親子揃って棺桶に足を突っ込んでいるというのは、なんとも滑稽である。

「ただの大工じゃないぞ。次の大工だ。大工の新次元。大工の新世界へと行け」

そう言って親父はぶつぶつと自分の世界へ没入していった。俺はなんだかよくわからないが、とりあえずその日は親父をそっとしておいた。

明くる日、親父は俺を呼び寄せてこう言った。

「俺に字を教えてくれ。漢字を。おまえに残さなければいけないものがある」
「遺書なんて縁起の悪いことを言わないでくれよ」そう言って笑う俺を親父はたいへんな不快感を込めて睨み、そして続けた。「ノートとペンと漢字練習帳が必要だ」

足腰も悪くして外出することも容易でない親父は、最近では日がな1日ぼんやりテレビを眺めるような暮らしをしていた。生きながらにして死んでいる、否、死ぬその瞬間を待つだけの生。そんな親父に「なにかをやりたい」という欲求がまだあったなんて。先ほど茶化したことを悪く思いつつ、俺は親父に言われたものを買い揃え、その日のうちに親父に手渡した。親父は「ありがとう」と言い、それからすぐさま勉強を始めた。

それから数日後、親父は起きているあいだはずっと勉強していた。何度も何度も漢字の書き写しをしていた。「大工とはこう書くのか……」「なんて美しい漢字なんだ……」と感嘆し涙を流すこともあった。そして続けて親父は俺にこう言った。

「おまえは大工なんだ」
「親父、違うよ。俺は空調設備の営業だよ。もうかれこれ20年になる」
「違わないんだよ。おまえは大工だ。大工の息子はみな大工なんだ。漢字を覚えておとうさん確信したんだよ。これを見てくれ」

そう言って親父はノートに『大工』と時折ふにゃりとゆれる線で書いた。
「うまく書けるようになったな」そう言う俺の言葉を無視して親父は続けた。
「この大工という漢字、これはな、ただ『大工』という意味だけではないんだぞ。こういうメッセージが隠れているんだよ」そう言いながら親父はノートに「大H」と書いた。「わかるか。これは大エッチだ。大エッチがなにかおまえ、わかるか?」
「いや、なんだよそれ」呆れる俺を見て親父は「つまりな」と続けた。
「大エッチとはな、すごいエッチのことだ。俺はかあさんとすごいエッチ、さしずめ大エッチを敢行した。その末におまえが生まれ、その代わりにかあさんは一足先に天国に行ったってわけだ」

俺はおふくろの顔を知らない。彼女は俺を生んですぐ力尽きて死んでしまったそうだ。写真で見るおふくろはやさしそうに笑っていて、いまここで意味不明なことをのたまい続けるエロジジイにはもったいない人だったのだろうと思う。

「文字通り、昇天したってわけだ」親父はノートに『しょう天』と書きながら言うので「それは笑えない」と俺は親父をたしなめた。『昇』は小学何年生ぐらいに習った感じだったっけ。今度買ってきてやろう。親父は俺の注意を気にもせず続けた。
「大工ってのはな、立派なものをつくるやつらのことを言う。大きなものほどいいと俺は思っている。つまりそういうことだ。俺はおまえをつくった。かあさんと一緒にな。でかくなったな。立派だ。大工冥利に尽きる。ありがとう」

そんな会話から数日後、親父は天に昇っていった。火葬の際には『昇』の漢字があるドリルを入れてやった。きっとあの世で覚えることだろう。おふくろにはもう会えたろうか。

親父が生前の短い期間で覚えた数少ない漢字で書かれた遺書にはこう書かれたあった。

「大工になれ。おまえは大工のむす子なのだから。子でなくてもいい。おまえだけが作ることの出きる、おまえだけのものを。大工は作るもののことを言う。大きければ大きいほどいい。おまえはなれる。だって大工のむす子なのだから。大工2.0なのだから」

余り物連休

「俺さあ、いま貯休してんだよね」
こんなご時世であるから、普段はあまり気乗りしないことだけれども、ときどきこうして時流に乗るようなことをしてみたりもする。学生のころから使い続けている安物のノートパソコンのファンが少し心配になるぐらい大きく唸り続けていた。そろそろ買い替え時だろうか。画面の向こうで缶ビールを呷る赤ら顔のLが言う耳馴染みのない単語に興味を覚え、私は問うてみた。「いまなんて言ったの?」
「だからさあ、貯休だよ貯休」
「貯休?」
聞くと彼は「いまの情勢ではせっかくの休みであっても、誰にも会えない。どこにも行けない。休みが休みとして機能していないこの『なにもない日』は、だったら休みではないのではないか。そうであるならば、俺はいまは休みはいらない。休みを使わない。つまり貯休する、ということになるんだよね」と、まったく意味不明なことを言うのである。彼の言い分をまるで理解できないまま、けれども私は続けて聞いた。「それをするとどうなるわけなの?」
「いや、だから休みが貯まるんだよ」
「でもそれってさ、きみの勤める会社には関係ないことなんじゃないの?」
「はあ? おまえんとこには貯休制度ってないの?」
彼の口から再び聞いたことのない単語が出てきて、私はまた戸惑った。自分の聞き違いではないか。そんな疑念を晴らそうと再び質問をしようとする私を制するように彼は続けた。「ちゃんと休み貯めれんだよ、会社公認で」

貯休制度とはつまり、本当に読んで字の如く「休みを貯めることができる制度」のことらしい。彼が務める会社は主にカレンダーを印刷する会社だそうで、そんな会社だからかはたまた言い出しっぺの取締役のあたまが少しあれなのか、彼が「なんかさあ、1ヵ月ぜんぶ日祝みたいに、赤く染めたくね?」とつぶやいたことがその制度の始まりだそうだ。実際に彼の会社では貯休が盛んにおこなわれており、年間休日128日の半分以上を貯休したまま土日も働く者も少なくないという。Lの上司は10年以上会社を休まず貯休を続けていたそうで、いまは4年以上ある貯休を使用中であるという。彼が実際に上司と仕事をしたのは、だからまだ1年にも満たないそうだ。

「でもさあ、そんな長い休みどうやって使ったらいいのか、皆目見当もつかないね」
想像してみる。貯めに貯めた休日を私はいったいどのように使うだろうか。世界中へ旅に出る。なにか学びたいものを見つけ資格取得のために勉強するのもいいだろう。家族や恋人など、大切な人との時間に充てるのもよい。ただなにもせずぼんやりと過ごすというのも魅力的ではある。
「その上司はどんなふうにして過ごしてるのかな」
「死に場所を探しに行くって言ってたよ」言いながら彼はまた新たに缶ビールのプルタブに指をかけた。「なんかちょっと病んでるようなところがあったから」
そりゃあ10年も休まず働き続けたら精神になんらかの異常が起きたりもするだろう。いや、そも「10年以上働き続けよう」とする意志が私にとっては理解できないアイデアであるのだが。とはいえ物騒な話である。「連絡はつかないの?」
「休暇に入るタイミングで個人の携帯電話とか軒並み解約したみたいだよ。生きてるのか死んでるのか、だから俺は知らない」
「その人って、でも一応いまは休みなんだよね?」
「そうそう」
「なんで死に場所を探しに行く人が、会社を辞めずに死に場所を探しに出たんだろう」
「さあ? 本気ではないんじゃない? 案外どこかの先進国の売春窟とかで放蕩してるかもな」
さながら映画『ホステル』のようにだろうか? 上司の行動原理はあまりに不可解である。しかしまあ、他人というのは大抵不可解だ。無理をして少々強引な個人的納得とこじつけで以て「理解した」ことにしないと、他人との円滑なコミュニケーションなど夢のまた夢なのである。あらゆる思想や信教の自由が担保されたこの国には、不正解がない代わりに正解というのもまた存在し得ない。あるとしても、それは個々人にとってある「それぞれの正解」というものになるだろう。無理解は否定されないけれど、他者否定は激しく非難される。そんなぬるい世の中を私はこよなく愛している。

 「なんちゅうか、そろそろ眠くなってきたわ」言って彼は大きなあくびをひとつした。「そうか。ならそろそろお開きにしようか」言って私も軽く背伸びした。
「なんかありがとな。今日はよく眠れそうだよ」そう言って笑うLの背後には、彼の部屋の天井から伸びる荒縄が一本、小さな輪っかをひとつつくった状態で揺れていた。簡易絞首台ひとつで、やはり部屋の雰囲気はがらりと変わるものである。
彼は病気で虚言癖がある。これまでの話もきっとすべてそうだろう。彼はたしかいまは休職中で働いていないはずだ。私にとって彼は患者で、これもリモートでするカウンセリングの一種である。けれど彼にとって私は違う。彼にとって私は『小学校時代からの親友』ということになっている。私はそれを否定しない。なぜなら彼は病気で、彼は他人で、私は彼に自分をどう思われようとなにも思わないからだ。理解はできない。けれど否定もしない。ただ最後に忠告はする。なに、もちろんやさしくやんわり、それが忠告とは悟られないようにである。それが『忠告』として機能しているかは個人的に甚だ疑問であるが。とはいえ、そういった物言いをすることが私の仕事であり、世間のニーズに応えるということなのだ。
「明日の朝はオンラインモーニングをしよう。熱い珈琲でも啜りながらね」
Lはにこりと笑って頷いて、それから部屋の電気を消した。

しばらくして彼がオフラインになったことを確認し、私は小さなため息をひとつついた。今日はあと何人とこういったやりとりを画面越しでしなければならないのだろう。待機中の病人がみな虚ろな目をして私を待っている。こんなご時世である。私もしばらくは休めやしないだろう。Lの言葉ではないけれど、そんないまだからこそ、私も貯休を試みてもよいのかもしれない。いや、そんな制度は私のクリニックにはないのだけれど。

荒れるかぐや姫

生活において必要不可欠なことやものは数あれど、そのなかでもほとんど前提条件として要求されうるであろうことは『住む』ことである。であるからして、我々には四方を壁に囲まれた『箱』すなわち『家』あるいは『部屋』という場所がほとんど必須になってくる。とはいえ、このようなことを意識的に洗いざらいこれから話そうだなんて大層な話ではまったくなく、今回話したいこと、聞いてほしいこと、書いてみたいことというのは「まっ、自分の巣の近所にあったらかなり便利やよね」というものについて、である。その候補については、それこそ十人十色百人百態千違万別一年万年塞翁之馬、要はまあ「人それぞれ」あるだろうが、しかし私はこう思う。「やっぱコンビニ一択やろがい!」と。

そんなこんなで私には行きつけのコンビニエンスストアがある。会社へ向かう朝、どこかへ出かける休日の昼間、くたびれた顔をしながらも一日の終わりにささやかな贅沢を計画して向かう夜のなか。いろんな場面、いろんな気持ちで私はコンビニへ行く。パンを買い、オレンジジュースを買い、ときにはノートやご祝儀袋、恋人の生理用品を買いに走ったこともある。コンビニそのものに思い出はないけれども、その場所をショートカットにして不意に思い出す出来事というのは「振り返ればそれなりにあるものだなあ」などと、いまこれを書きながら感心しているぐらいだ。通い詰めて十数年、冗談でなくそんなぐらいにはなるだろう。なんだかこんなふうに改まって書くと少し気恥ずかしい気もするが、しかしそのコンビニは私の生活と非常に密接した関係を築いていた。今回は「ではなぜ、その関係を『築いていた』と過去にするに至ったか」についてのお話である。

行きつけだったコンビニの店長とは顔見知りで、いつのまにやらどちらともなく話しかけ、いまでは少しの世間話をしたり、ときどき一緒に店の外に設置された喫煙所で煙草を吸ったりするような仲だった。そんな彼との関係性で、私が最も気に入っていたのは、互いが互いを名前では呼び合わない、という点である。パーソナルな情報を公開しないまま、互いを「店長」「お客さん」と呼び合うおままごとのような関係性が心地よかった。そんなだからか、ある日の休日、彼をこれまた行きつけのパチンコ店で見かけたときは、内心で不思議な落胆があった。彼を見かけたその日、私はパチンコ店を足早に去り、それから以後その店に行くことはなくなってしまった。この一連の拒否反応について、私は未だ自身のなかでの整理がついてはいないので、これについての考察・分析はまたいずれ。

「最近また学生のバイトがやめちゃって……」
店長はときどきそんな愚痴を聞かせてくれた。
「やっぱりいまどきの子は根性ないですか?」
ある日の私がそう聞くと、彼は私に似たくたびれた表情と声で以て「お客さん、そんなの言ったらね、今どきの子は知恵が働くからね、すぐにハラスメントだなんのと言って訴えにかかってきますよ」と嘆いたのを覚えている。私はなにも言わずにヘラヘラとして煙草を吸い、私の共感をほのかに期待する彼の態度を文字通り煙に巻いた。

冬の終わりと春の始まりが交差する出会いと別れの季節。私にとっては出会いにも別れにも少しの感情も反応しないほどの繁忙期であることが多い。そんな日々の読点にうってつけの、行きつけのコンビニでいつものように店長とふたり煙草を吸っていると、彼は不意にこう言った。「こないだね、面接にかぐや姫が来たんですよ」
私は煙草を吸いながら、彼がいったいなにを言っているのかを考えた。まずある線として考えられるのは、冗談。にしてはあまりに笑えない。脈絡もなく緩急もない。これで人から笑いを引き出そうとしているのであれば、彼はあまりに浅慮かつ、重ねて言うようであるが、笑えない。大人としてあまりに配慮の欠ける言動であるとは思わないのだろうか。非常時につき『客人是即神様的態度』で以て猛省を要求したいなあなど思っていると、彼は続けた。「でね、おもしろそうだったんで、その彼女、採用したんですよ」
かぐや姫もコンビニでアルバイトする時代なんですねえ。世も末だ」
強引にコントを続けようとする彼を受けて、だんまりを決め込むような子供染みたことなどできるはずもない大人の私は、仕方なしに年甲斐もなく彼との戯れに興じてやることにした。すると彼はくすりとも笑わずこう言った。「お客さん、おもしろいですね。でもこれほんとなんですよ。来月あたまから夕勤で入るんで、よかったら見学に来てくださいよ」

 そんな会話から数日後、コンビニに向かう気力もないほどに忙しい日々を過ごし、なんとか休日前日まで生き延びた深夜のこと。夕飯をつくる気力など残っているはずもなく、私はなにか空腹を満たすものを求めてコンビニへ向かった。夜のなかで過剰なほど発光しているコンビニのガラス越しから店長が見えた。彼が店へ向かって歩く私に気付いて軽く会釈してくれた。それに応えて私が軽く手を振ると、彼も小さく手を振った。「なんだかひさしぶりですねえ」
いつものようにふたり煙草を吸いながら、店長はそんなことを言った。
「いやあ、年度末はやっぱり忙しくて」
「どの業界も、けっこうたいへんそうですもんねえ」
そんな会話をしながらも、私の職業を聞いたりするような真似を彼は決してしなかった。興味がないのか、はたまた配慮なのか、それは知る由もなかったが、しかしそんな彼であるからこそ、私もこのよくわからない彼との関係性に嫌気が差すことも長らくなかったのだろう。店長が煙草を吸い終え、2本目に火をつけながら「ああ、そういえば」と新たな話題を切り出した。「こないだ言った子、すごいんですよ」
「こないだって?」
かぐや姫ですよ」
聞けば彼女、自称かぐや姫の初出勤日はとてもすさまじいものであったらしい。まず彼女は自己紹介で自分の年齢を「だいたい1100歳」だと言い、来る客すべてに「いらっしゃいませ」ではなく「よくぞ来たな!」と怒鳴っていたらしい。彼女は夕方勤務メインで採用したスタッフらしく、初出勤のときも夕方5時から勤務だったそうだが、退勤直前の夜9時ごろになると店の外に出て月を眺めるのに必死でまったく仕事をする気配もなかったらしい。
「そんなやつ、一発でクビにしたんじゃないですか?」
私が尋ねると、店長は少し笑って「いやいや、そんなのはいまのご時世じゃなかなかできないですよ。やっぱりなんらかのハラスメントになってしまう危険性がありますから……でもね、そんなのとは別にして、やっぱり彼女、おもしろいからもう少しだけ様子見てみたいなあって思ってるんですよ」
そう言って微笑む彼を見て、なんだか私はたのしそうでよかったなあという感想を抱いた。なぜだかはわからない。けれど少し私たちの関係から一歩踏み込んだ感情であるなあなどと後ほど思い至り、私はひとり、たいへん恥ずかしい気持ちになったりもしたが、それはまた別の話として。
「なんだかおかしな子だねえ。歳はいくつなの?」
「だからそれがね、何回聞いても『だいたい1100歳』としかこたえないんですよ」
「それは困りましたねえ」
「でもね、見た目は20代後半ぐらいですよ。髪もすごく長くて、どこかの神社で巫女でもやってたのかなあって感じで。まあ平均的な日本人顔ですね」
「今日は彼女、こないの?」
「休みですね。あっ、でも明日は出勤ですよ」

 そして明くる日、夕方少し前に目が覚めて、私は寝癖も直さず歯も磨かずに、裸足にサンダルをつっかけてコンビニへ出掛けた。店内レジには昨日に店長から聞いたとおりの髪の長い女性と、彼とおなじく普段からよく見る40代ほどの女性とのふたりがいた。彼女たちは私が入店するなり、ごくごくふつうに「いらっしゃいませー」と挨拶をした。
「なんだ、めちゃくちゃふつうじゃないか」と、昨日の店長の話を思い返しつつ、弁当1つと缶チューハイを2本手に取ってレジへと進む。かぐや姫がレジに立ち、これまた非常にマニュアルに沿った接客で以て手際よく商品を袋に詰めていく。
「合計で978円です」
普段からお互いを『客と店員』として認識する距離感に心地よさを感じている私であるが、いま私の目の前にいるかぐや姫と、店長の話からなるかぐや姫とのあまりの相違になんだかとても据わりの悪さを感じた。
「あの、お客さま?」
かぐや姫に言外に支払いを促され、私は慌てて財布を取り出そうとズボンのポケットに手を入れた。けれども財布はどこにもなかった。
「あの、財布を忘れたみたいで……家すぐ近くなんで、ちょっと置いててくれないですか?」
そう伝えるとかぐや姫は怪訝な顔をして「あー、ちょっと店長に確認してきますね」と言ってコンビニのバックスペース兼事務所へと消えていった。ああ、裏に店長いるのかなどと思い、幾分気持ちが軽くなった。数分してバックスペースから現れたのは普段からよく見る40代ぐらいの女性だった・
「店長、あのかたなんですけど……」言ってかぐや姫が私のほうへ視線を寄越した。店長でないはずの女性は「あぁ、あの人なら大丈夫よ」とひとこと言ってこちらへとやってきた。
「いつもご利用ありがとうございます」かぐや姫になぜか店長と呼ばれている女性が私の目の前に立って笑っている。私は先ほどの安堵から急転、いまなにを見せられているのかまったくわからず混乱していた。「じゃあこちらの商品預かっておきますので、お財布見つかりましたら、また声かけてくれれば」
「えっと、ちょっと変なことを聞くんですけど……この店の店長ってあなたなんですか?」
「ええ、そうですけど?」顔面のほとんどすべてを疑問符に擬態させる勢いできょとんとした40代ほどの女性が応える。さも当然のことを、それからあまりに突飛なことを聞かれて困惑しているらしい。
「それとあなたは、自称かぐや姫の子だよね?」私は店長から変わって、例の彼女に話しかける。彼女はまた怪訝な顔をして言った。「いや、違いますけど……」
「……あの、財布取ってきます」
言って私は、きょとんとしたふたりの視線を背中に感じながら店を出た。それからあと、私が預かってもらった商品を受け取りにいくことはなかった。

 これには後日談があり、先の奇妙な出来事から数週間後、私はしばらく行ってなかった元行きつけのパチンコ店に出かけたことがある。2時間ほど遊んで換金所へと向かうと、店長がいるではないか。私はうれしくなってつい話しかけてしまった。
「店長! ひさしぶりだねえ」
店長は驚いてこちらへ振り向いた。そして言うのである「えっと、あなた誰ですか?」
これはまた悪趣味な冗談だと思いつつ、私ははたと思い至った。そうだ、数週間前のあの出来事も、もしかして店長のちょっとしたドッキリだったんじゃないかと。
「ちょっと店行けてないけどさ、こないだかぐや姫見たよ。全然違うって感じでびっくりしたよ。あれ、どうなってんの?」
少し捲し立てるようにして話した私に対して、しかし店長の反応は芳しくなく、彼は換金を済ませてから一言「あたまおかしいんじゃね?」と吐き捨てるように言って、そそくさと去っていった。
その日は、皮肉だろうか、非常に綺麗な満月であった。