似非随想録

「幻によろしくな」

余り物連休

「俺さあ、いま貯休してんだよね」
こんなご時世であるから、普段はあまり気乗りしないことだけれども、ときどきこうして時流に乗るようなことをしてみたりもする。学生のころから使い続けている安物のノートパソコンのファンが少し心配になるぐらい大きく唸り続けていた。そろそろ買い替え時だろうか。画面の向こうで缶ビールを呷る赤ら顔のLが言う耳馴染みのない単語に興味を覚え、私は問うてみた。「いまなんて言ったの?」
「だからさあ、貯休だよ貯休」
「貯休?」
聞くと彼は「いまの情勢ではせっかくの休みであっても、誰にも会えない。どこにも行けない。休みが休みとして機能していないこの『なにもない日』は、だったら休みではないのではないか。そうであるならば、俺はいまは休みはいらない。休みを使わない。つまり貯休する、ということになるんだよね」と、まったく意味不明なことを言うのである。彼の言い分をまるで理解できないまま、けれども私は続けて聞いた。「それをするとどうなるわけなの?」
「いや、だから休みが貯まるんだよ」
「でもそれってさ、きみの勤める会社には関係ないことなんじゃないの?」
「はあ? おまえんとこには貯休制度ってないの?」
彼の口から再び聞いたことのない単語が出てきて、私はまた戸惑った。自分の聞き違いではないか。そんな疑念を晴らそうと再び質問をしようとする私を制するように彼は続けた。「ちゃんと休み貯めれんだよ、会社公認で」

貯休制度とはつまり、本当に読んで字の如く「休みを貯めることができる制度」のことらしい。彼が務める会社は主にカレンダーを印刷する会社だそうで、そんな会社だからかはたまた言い出しっぺの取締役のあたまが少しあれなのか、彼が「なんかさあ、1ヵ月ぜんぶ日祝みたいに、赤く染めたくね?」とつぶやいたことがその制度の始まりだそうだ。実際に彼の会社では貯休が盛んにおこなわれており、年間休日128日の半分以上を貯休したまま土日も働く者も少なくないという。Lの上司は10年以上会社を休まず貯休を続けていたそうで、いまは4年以上ある貯休を使用中であるという。彼が実際に上司と仕事をしたのは、だからまだ1年にも満たないそうだ。

「でもさあ、そんな長い休みどうやって使ったらいいのか、皆目見当もつかないね」
想像してみる。貯めに貯めた休日を私はいったいどのように使うだろうか。世界中へ旅に出る。なにか学びたいものを見つけ資格取得のために勉強するのもいいだろう。家族や恋人など、大切な人との時間に充てるのもよい。ただなにもせずぼんやりと過ごすというのも魅力的ではある。
「その上司はどんなふうにして過ごしてるのかな」
「死に場所を探しに行くって言ってたよ」言いながら彼はまた新たに缶ビールのプルタブに指をかけた。「なんかちょっと病んでるようなところがあったから」
そりゃあ10年も休まず働き続けたら精神になんらかの異常が起きたりもするだろう。いや、そも「10年以上働き続けよう」とする意志が私にとっては理解できないアイデアであるのだが。とはいえ物騒な話である。「連絡はつかないの?」
「休暇に入るタイミングで個人の携帯電話とか軒並み解約したみたいだよ。生きてるのか死んでるのか、だから俺は知らない」
「その人って、でも一応いまは休みなんだよね?」
「そうそう」
「なんで死に場所を探しに行く人が、会社を辞めずに死に場所を探しに出たんだろう」
「さあ? 本気ではないんじゃない? 案外どこかの先進国の売春窟とかで放蕩してるかもな」
さながら映画『ホステル』のようにだろうか? 上司の行動原理はあまりに不可解である。しかしまあ、他人というのは大抵不可解だ。無理をして少々強引な個人的納得とこじつけで以て「理解した」ことにしないと、他人との円滑なコミュニケーションなど夢のまた夢なのである。あらゆる思想や信教の自由が担保されたこの国には、不正解がない代わりに正解というのもまた存在し得ない。あるとしても、それは個々人にとってある「それぞれの正解」というものになるだろう。無理解は否定されないけれど、他者否定は激しく非難される。そんなぬるい世の中を私はこよなく愛している。

 「なんちゅうか、そろそろ眠くなってきたわ」言って彼は大きなあくびをひとつした。「そうか。ならそろそろお開きにしようか」言って私も軽く背伸びした。
「なんかありがとな。今日はよく眠れそうだよ」そう言って笑うLの背後には、彼の部屋の天井から伸びる荒縄が一本、小さな輪っかをひとつつくった状態で揺れていた。簡易絞首台ひとつで、やはり部屋の雰囲気はがらりと変わるものである。
彼は病気で虚言癖がある。これまでの話もきっとすべてそうだろう。彼はたしかいまは休職中で働いていないはずだ。私にとって彼は患者で、これもリモートでするカウンセリングの一種である。けれど彼にとって私は違う。彼にとって私は『小学校時代からの親友』ということになっている。私はそれを否定しない。なぜなら彼は病気で、彼は他人で、私は彼に自分をどう思われようとなにも思わないからだ。理解はできない。けれど否定もしない。ただ最後に忠告はする。なに、もちろんやさしくやんわり、それが忠告とは悟られないようにである。それが『忠告』として機能しているかは個人的に甚だ疑問であるが。とはいえ、そういった物言いをすることが私の仕事であり、世間のニーズに応えるということなのだ。
「明日の朝はオンラインモーニングをしよう。熱い珈琲でも啜りながらね」
Lはにこりと笑って頷いて、それから部屋の電気を消した。

しばらくして彼がオフラインになったことを確認し、私は小さなため息をひとつついた。今日はあと何人とこういったやりとりを画面越しでしなければならないのだろう。待機中の病人がみな虚ろな目をして私を待っている。こんなご時世である。私もしばらくは休めやしないだろう。Lの言葉ではないけれど、そんないまだからこそ、私も貯休を試みてもよいのかもしれない。いや、そんな制度は私のクリニックにはないのだけれど。