似非随想録

「幻によろしくな」

台所スイーツ

「それでは次は2班のみなさんの発表です。よろしくお願いします」
小学3年の初秋、灼熱の夏季休暇を終え学び舎へと舞い戻った我々2班は本番を迎えていた。本番とはつまり実践。実践とはつまり正念場。家庭科の授業内で厳かに執り行われた夏季休暇のグループ課題発表の儀である。
白髪の混じり始めた老齢の女教師が我々を戦場へと誘う口上を宣ってからのち、しばしの沈黙。教室内の空気は破裂するそのときをなにより雄弁に語る無音で以て窺っているようだった。少し開いた窓から入ってきたぬるい風が小生の前髪を揺らした。小生が生唾をごくりと飲み込んだのと同時、我々2班の大将であるLが口火を切った。彼は緊張で乾いた唇をちろりとひと舐めしてのち、震える声で言った。
「ぼくたち2班は『台所スイーツ』を調べてきました。一生懸命に研究したので聞いてください」
声変わりの完了を確認できないトレブルティックなLの宣言に、しかし間髪入れず続いたのは悪意を多分に滴らせたいがらっぽい男の声。学校中でも邪悪であることでその悪名を轟かせていた悪餓鬼のNだった。
「なんだよ『台所スイーツ』ってよぉ。おまえら女か? オカマ野郎がよっ!」
Nの野次を受け教室内の緊張が一気に高まる。その微妙な変化を感じ取ることのできない哀れな老齢の女教師がひとり「こらN、静かになさい」などと耳障りな声で吠えていた。
「……うるせえな、ボケ」
教室内の檀上、小生の隣に立つ2班でいちばんの荒くれ者Uが小さな声で吐き捨てた。
「なんだてめえ?」
聞き捨てならぬとN、小生は肝を冷やしつつ言う。「まあまあ、とりあえず聞いてよ、発表」
そんな我々3名をちらりと見て、ひとまずの収束を確認してからのち、Lは続けた。
「まずはぼくらが調べてきた『台所スイーツ』について説明します。じゃあO、お願い」言ってLはOへマイクを手渡した。

Oは我々2班でいちばんおっとりしており、またふっくらもしており、そして心根のやさしい者であった。教室内の注意がLからOへ切り替わるのがわかった。彼はつやつやぷるぷるの頬を両方真っ赤にし、極度の緊張で異様なまでに発汗していた。冒頭に述べたとおり、季節は初秋、灼熱苛烈を極めた夏季休暇はもう既に去っている。
「大丈夫?」
小生がOへと呼びかけた気遣いの声を掻き消すように悪餓鬼Nが嬌声をあげる。「おいブタ、さっさとやれよっ!」
「……てめえも大概ブタだろうが」
Nの野次に再びUが噛み付いた。
「U、てめえぶっ殺されてえのか?」
「ちょ、やめなよぉ」
荒くれ者ふたりを制止しつつも小生は緊張と恐怖で胸がいっぱいで、いまにも失禁してしまいそうだった。気持ちを落ち着けようと何度も深呼吸をしたことを昨日のように覚えている。
「あの……『台所スイーツ』というのは……」しばらくしてOがようやっと説明を始めた。「それぞれのお家にある、おやつのようなもののことです……ちなみにぼくの家の『台所スイーツ』は、おかあさんがつくってくれる焼きプリンです」
「それの食い過ぎでブタになったんだろ? おまえのおかあさんもブタだもんなっ! きもいんだよ、ブタ親子っ!!」
Nの暴言に教室内が静まり返る。少ししてOがすすり泣く音が教室の静寂を埋めた。「おいおい、そんなことぐらいで泣くなよな」
「N、あなたちょっと先生と職員室に来なさい!!」
子供とはいえ人ひとりの心からの涙を見て、悪餓鬼のNもさすがに狼狽えているようだった。そこへ空気の読めない哀れなる老齢の女教師が好機とばかりに大人権力を発動しかけたところをUが制止した。「先生、それはちょっと困る。そこのクズにも聞いてほしいんだ、俺らの発表」
そうして再び教室は静かになる。老齢の女教師も悪餓鬼もNも戸惑っている様子だった。Lが「O、ありがとね」と言い、Oから再びマイクを受け取った。小生はまだ少し泣いていたOの背中をさすってやった。

「ぼくらはこの夏休み、何度か集まって2班のみんなの『台所スイーツ』をつくったりしました。今日はそのなかでもいちばんおいしかったUの家の『台所スイーツ』のつくりかたを発表したいと思います」
「へーすごい」「たのしそう」などと言った声が先ほどまで静かだった女生徒たちからあがる。それを聞いたNが不快そうな顔で我々2班を睨んでいた。Lが続ける。
「今回、Uの家でつくった『台所スイーツ』は『ガニャリパ』です」
「えっ?」「なに?」「ガニャリパ?」先ほどまで期待していた女生徒たちが一転、聞いたこともないスイーツの名前を聞き困惑していた。灼熱の夏季休暇中、U家にてはじめてガニャリパの名を耳にしたときには小生も同じような反応を示したものだ。
Nが「きもちわるいんだよっ!」と怒鳴り、老齢の女教師から体罰を受けていた。「体罰っ! 体罰っ!」と抗議するNを無視してLが続けた。
「ガニャリパはUくんのお家でずっと受け継がれているお菓子だそうです。今回はUくんのおばあちゃんがぼくたちの研究に協力してくれて一緒にガニャリパをつくってくれました。つくりながらUくんのおばあちゃんにガニャリパのことをいろいろ教えてもらいました。ガニャリパの歴史は長いそうで、Uくんのおばあちゃんも子供のころに自分のおかあさんから教えてもらったそうです」
言ってLが小生に目配せをする。小生は何度も綿密に繰り返した打ち合わせのとおりプロジェクターを起動、コンピュータをぽちりと操作して黒板の前に掛けられたスクリーンにガニャリパの写真を映し出した。
「うわっ」「なんかこわい」「ぞわぞわする」などといった声が、今度は女生徒のみならず教室全体から聞こえてきた。その驚嘆のざわめきに耳を澄ませながら小生も静かに首肯する。過ぎ去りし灼熱の夏季休暇の只中、はじめてガニャリパを目にした小生もまったく同じ驚嘆に身を震わせたのだから。ちらとNのほうを見ると、Nは両手両足を椅子に縛られ猿轡をされたていた。あまりに騒ぐためか、老齢の女教師が施した処置であろう。後ほど知ったことであるが、老齢の女教師は、その昔、まだ彼女がうら若きころにある高級娼館の人気娼婦として労働していたそうだ。そう、これは余談である。

「これがガニャリパです。みんな見たことないですよね。おいしいんですよ」
「こんなの食べられないよ」「きもちわるい」「吐きそう」などと言った罵詈雑言があがるなか、しかしLはまるでなにも聞こえていないかのように淡々と進行していく。そのさまは「まるでなにかに取り憑かれているようだった」と、当時発表を聞いていた女生徒のひとりは語っている。
「では、材料とつくりかたを紹介していきます」言ってLはUへとマイクを手渡した。

「えー、まず材料っすけど、小麦粉300g、砂糖60g、卵黄2つ。これをボウルに入れてよく混ぜます。フライパンにバター適量をひいて加熱します。フライパンをあたためているあいだにネマリャーンを3匹、生きたままミキサーにかけます」
「ネマリャーンってなに?」「生きたまま……」「残酷だよ」聴衆の困惑は膨張し続け、少しずつ騒がしくなる。その様子を見て、泣き止んだOがはにかんでいた。
「この反応、なつかしいよね」小さな声で小生に語りかけるOに小生も笑顔で応答した。「だねっ」
「フライパンがあたたまったら、えー、先ほどミキサーにかけたネマリャーンを緑色に発光するまで炒めます。ほのかにキンモクセイのような香りがしてきたら、先ほど混ぜたボウルの中身をフライパンへ流し込んで焼いていきます。」
「だからネマリャーンってなんなの?」「いや、そもそもガニャリパがわかんないから」「緑色に発光するものって食べても大丈夫なのかな?」などといった声が遠慮なく教室内を飛び交っていた。老齢の女教師の注意する声は最早だれにも届かなくなっていた。ただひとり、Nだけが身動きも取れず、困惑を口にすることもできず、椅子の上に縛られてガタガタと悶えていた。
「えー、それからよく焼いたらガニャリパの完成です」
「だからガニャリパってなんだよ」「もしかしてふざけてる?」「ちゃんと発表しろ」困惑が徐々に我々2班に対する罵詈雑言にと変化しつつあることを察知してか、Uがマイクで注意をしようとしたところにLが「うるせえ!!」と怒鳴り、再び静寂。教室内の空気は緊張で張り詰めていた。老齢の女教師やNも含め、全員がLの豹変に驚いていた。UがLのほうを見て微笑み、Lも微笑む。それを見て小生とOも微笑んだ。Uが穏やかな表情でマイクへ向かった。

「えー、これで俺たち2班の発表は終わりなんすけど、最後に、実は今日ガニャリパ持ってきてるんすけど、誰か食いたいってやつ、いる?」
「はい!はい!!」Uの問いかけにOが真っ先に反応し、頬を真っ赤にして手をあげた。「ぼくらは発表する側だからさ、また今度にしよう」そう言ってOを諫めつつ、小生は教室全体を見渡した。だれも手をあげてはいない。それを確認してのち、小生はUへと目配せした。Uは笑って続けた。
「えー、だれもいないようなんで、じゃあこっちで食べてもらう人決めまーす」
Uの宣言に教室がまたざわついたが、Lが一度強く教室の床を踏みつけたことでそれはすぐに収まった。
「Uさん、そのガニャリパっていうのはホントに食べても大丈夫なのかしら?」
先ほどまで静かに見守っていた老齢の女教師がUに問うた。Uが「じゃあ、先生が食べて確かめます?」と問い返すと「いいえ、遠慮しておきますわ」

「えーっと、じゃあN、おまえに食ってもらうわ」
突然の指名にNは激しく悶えた。眉間に皺を寄せふがふがと抗議の声をあげている。猿轡を経由して彼の唾液が教室の床に滴るのを見て小生は眉をひそめた。
Lが暴れるNを取り押さえ、Oが猿轡を外し、小生がガニャリパの入ったタッパーを準備した。Uが小生からタッパーを受け取り開けると途端に教室内から「くせえ」「なにこれ」などと言った声があがり、なかには嘔吐する者も現れ始めた。
「てめえマジでぶっ殺すぞっ!」
必死の形相で虚勢を張るNに、しかしUは笑って応えた。「おまえのその性格はな、病気なんだよ」
「意味不明なこと言ってんなマジでっ!きもいんだよおまえ!!」
「オッケーオッケー。じゃあ、まあ食べてみてよ」
言ってUはガニャリパをNの口にねじ込んだ。 

その授業からあと、Nは人が変わったようにおとなしくなり、成績もグングンと伸びて、卒業後は県でも有数の進学校である私立中学校へと進学した。
そんなNだが、先日テレビに出演していたのを見て小生はたいへん驚いたものである。なんでも彼はパティシエになったらしく、来年を目処に彼がプロデュースした洋菓子店が全国展開をはじめるということだった。
『小学生のころに食べた味が忘れられなくて……』そう語る穏やかな男の声音に、かつての悪餓鬼の影は見て取ることもできない。『ガニャリパっていうお菓子なんですけど……』

「おまえ見た?」
我々2班はいまでも定期的に集まり、酒など酌み交わす仲である。人生における青春を彼らとともに過ごし、またこれから始まる朱夏をも小生は彼らと過ごせたら、と思っている。
「あー、見た見た。あいつ一生ガニャリパって言ってたんだな」
「ガニャリパ一筋って感じの人生だったんだろうな」

そんなこんなで話は続き、たのしいお酒は止まることもなかった。そんな折にふと私は気になってUに聞いてみた。「結局さあ、ガニャリパってあれなんなの?」
「そうそう、気になってた。ネマリャーンってやつも」続けてOも言う。

小学3年の灼熱の夏季休暇のあいだ、サボりにサボっていた小生とOは休暇が終わる土壇場でUへと泣きついたのである。Uは快く受け入れてくれ、我々ふたりの名前をグループのなかに入れてくれた。であるからして、実際に小生とOはガニャリパを食べておらず、ネマリャーンがいったいどういったものであるかも未だわからないままでいる。だからか、当時から食い意地の張っていたOが本番でさえ自身の食欲を制御できなかったことは発表後も事あるごとに我々2班のあいだで語り継がれていた。
「さあな」そう言うUに加勢するかのように唯一ガニャリパを食べ、つくっているLが言った。「まあまあ、いいじゃないか」
「なんだよL、おまえは知りたくないのかよ?」ほろ酔いのOがLに絡むのを見て小生も続けた。「そうだそうだ。おまえだけずるいぞ」
「それはだなあ、おまえたちも最初から参加してれば……」
「昔のこと言われたってしょうがないもんなあ?」「そうだそうだ」
「うるせえ!!!」
およそ成人男性が公衆の面前で出力してはならない程度の感情の発露をしたLに小生は震えあがった。それはOも同じようで、彼は一気に酔いが醒めたようだった。
「どいつもこいつもよぉ、うるせえんだよ……」言ってLは虚ろな目をしてビールを呷った。
「おいL、飲み過ぎだ。ちょっとトイレ行こうぜ。顔洗えば頭も少しは冷えんだろ」言ってUが立ち上がり、彼はLに肩を貸した。
その日、解散してからあとUから1件のメールが入った。「まあ、食いたくなったんなら言えよ。つくってやるから」

それから数年後、小生はまだUに本心を伝えられずにいる。